組み合わせによる相乗効果 – V-Synth開発の原点
おはようございます。
坪井佳織です。
TR-808の開発者で、MIDI規格設立にも貢献された菊本忠男さんインタビューシリーズの第7弾です。いつものゆるいノリと全然違って、原稿を書くには技術面のみならず、哲学から歴史まで、あらゆる方面の調査をして、有識者に助けてもらっております。卒論よりちゃんとやってます(笑)。
本日は、時代が早過ぎた(毎回言ってる気がするw)シンセサイザーの「V-Synth」と、コンセプトが抽象的で難解だったために社内でも理解を得るのに苦労したというテクノロジーの「COSM」(コズム)についてお届けします。大学の講義を受けるくらいの濃度がありますので、ぜひ、お疲れでないときに読んでください。

「VariPhrase(バリフレーズ)をついに製品に載せてVP-9000を発表したんだけども、どう使っていいのか分かりにくかった。
じゃあ本当にシンセにしてしまおうというので作ったのがコレ」

コレとは、V-Synthです。

(VP-9000の3年後の2003年に発売されたV-Synth)
イノベーションを理解して受け入れて評価してもらうには、相当な説得、説明が必要だということですね。普段、目先の理解が得られないことにクヨクヨしている自分を反省しました・・・。

「佐藤君というエンジニアがね、彼もすごい人だったんだけど、D-50のLSIを解析してね。LSIの設計図を解析したんですよ、それをソフトに落とし込んで、ここにD-50が入ってるんですよ。DSPで(※1)」
V-Synthにカードを挿し込むとD-50になるという、現在でいうモデル・エクスパンジョンの先駆けですよね。
(※1)編集部注:
佐藤健二さんはV-Synthの音源部分(開発名:モノリス)を担当されていたエンジニア。V-Synthで動作するD-50のエミュレーター「V-Card VC-1」の開発も担当されました。社内から8インチの巨大なフロッピーディスク・ドライブを発掘して、D-50開発当時のLAチップのソースコードを解析。さらに実際の出力波形を確認しながら、左右の耳でオリジナルのD-50とV-Synth版のD-50のサウンドを同時に聴いて最終調整を行ったという逸話が残っています。Roland CloudのD-50ソフトウェア・シンセサイザーも佐藤さんが担当されました。

(V-Synthの翌年に発売されたV-Card VC-1)

「実はわたしは、PCMサンプリングが普及したら、ユーザーが音作りをするD-50が最後のシンセだと思っていました。VariPhraseはPCM音を演奏(manipulate)する新しいシンセサイザーの提案だったからです。
そういう意味でもV-Synthにはいろんなものがてんこ盛りでね、今でもね、ネットで、あの、“究極の”とかね、そういう表現をされてますよ」
以前、取材をさせていただいた、ミュージシャンの西脇辰弥さんも「今もV-Synthが一番好き」っておっしゃってました!

「バリフレーズでも分からんと言われてるのに、タイムトリップとか言い出してね。これでもか、これでもか、とてんこ盛りにしたね。
バリフレーズというのはね、音を伸縮させるだけじゃなしに、戻ることもできるでしょう。それはつまり、時間軸を行ったり来たりする、ということ。それをタイムトリップと言ったんだけども、ピアノだけはね、ピアノの音だけは特別なことがあってね、やっぱり、あの音はタイムトリップできないんですよ」

(V-Synthに搭載された「タイムトリップ・パッド」。これをターンテーブルのように指でなぞることで、サウンドを行ったり、戻ったり、止めたりと時間を操ることができました)
当時V-Synthのマーケティングを担当されていた方に、このメルマガのためにタイムトリップを使った演奏をしてもらったので観てみて!
https://youtu.be/FaVZPKLgPy4 >>

ピアノの音はタイムトリップできないんですか?

「ピアノだけじゃなくて、グラニュラル合成の場合、ある種の、倍音構成の音が汚れたり凍りついたようになる。あれは僕はちょっと失望した。バリフレーズは高音質を目指していたからね。
バイオリンのボウイングは体を動かして、伸ばしたり閉じたりするでしょう、あれは時間を行ったり来たりしていると同じように思えませんか。
体を動かすのと同じように、時間を動かしてアーティキュレーションの効果を出そうとしたんだけども、ピアノはうまくいかなかったですね。
それだけじゃなしに、誰もうまく使ってくれなかったな、今も使われてないでしょう?」
TM NETWORKの「Get Wild」のライブ演奏では一時期使われていたみたいですよ!みなさま、ぜひ聞いてみてください。(※2)
(※2)編集部注:
「Get Wild」の原曲(1987年)はDX7/Emulator/Prophet等の固定音色なのに対して、1987年の武道館公演「FANKS CRY-MAX」以降のライブでは、原曲のサンプリング素材を小室哲哉さんがリアルタイムで連打/再構築しています。この小室さんの「曲はみんな知っている、求められるのは『再現』ではなくリアルタイム『更新』」というライブ文脈とV-Synthの「フレーズを演奏する」思想が一致して愛用されていました。V-Synthを使った演奏は2003年以降のライブで観ることができます。
こちらはV-Synth GTを使用した2012年の映像です >>
あの・・・、タイムトリップっていうのは、レコードのスクラッチとは違うんですか?

「スクラッチは戻すとピッチが変わるでしょ。速度によって。
タイムトリップはフォルマントやピッチが変わらないから」
あぁ、そうか!
そういうことですね。

「あともうひとつ、『COSM』(コズム)という重要なコンセプトが入っているんだけど、V-Guitarから採用したパラダイムでした。これも解説やプロモーションが不十分でした」
うぉぉぉお〜〜、耳が痛いようぅ〜〜!!
ハイ、当時、「社内でも理解してなかった」一人です。
今から、菊本教授によるCOSM講座を受講しようと思います!
菊本さんインタビューシリーズの第一弾は「みんなと一緒に菊本さんの朝礼を受けよう!」というコンセプトで書き進めましたが、今回は「みんなで講義を受けよう!」です。

「基本的な物の考え方のことをパラダイムというじゃないですか。物を考える、ひとつのテンプレートみたいなね。
たとえばダーウィンの進化論ってあるね、進化論というのは必ず原始的なものからだんだん進化していくという、そういう流れがありますよね。
それと同じように、その考え方(パラダイム)を利用すると、何か新しい発想が生まれるんですよ」


「僕はこの創造・革新を生むパラダイムの様式のひとつとして、オブジェクト指向の『COSM』を提唱したんですよ。
オブジェクト指向とは、あるものとあるものを組み合わせると・・・、あ、そうだ、よくあるお寿司、握りね。
シャリの中にちょっと酢、お酢が入ってるんです。ちょっと甘みがあるので、ご飯だけ食べるより美味しいじゃないですか。そこにわさびをちょっと入れて、マグロを乗せて。
そうすると、マグロ単体で食べるより、わさび単体で食べるより、絶妙な相乗効果を生み出せるんですね。
だから料理の世界は、相乗効果しかない、COSMの世界なんですよ。
D-50でも、『PCMとアナログとエフェクターを組み合わせて、お寿司を作ってください。そうしたら、単体よりも相乗効果でもっと美味しいものができあがる』と」

確かに・・・D-50の音色がそのまま使われた名曲、エンヤの「Orinoco Flow」など、当時それまでに聴いたことが無いサウンドでした。
PCM、アナログ、エフェクターの相乗効果なんですね〜。

「たった二つでも、組み合わせると相乗効果で面白いものが生まれる。
あの、クロスオーバー、ジャズとロックをクロスオーバーしたらね、ジャズでもロックでもないけど、相乗効果で新しいものが生まれるじゃないですか。何かと何かをクロスオーバーしたら、もっとたくさんの組み合わせが生まれる。
で、僕はね、ローランドで提案したのは、いわゆる音楽で、今まで音符だけでやってたんですけど、何かこう、音楽のスタイルを組み合わせるというかね。
ジャズというオブジェクトとヒップ・ホップというオブジェクトを組み合わせると、ジャジーなヒップ・ホップができて、独特のスタイルが生まれるよね。
そういうのを僕はCOSMでやったの。
V-Synthもそうだし、D-50もそうなんだね。
僕が言っているのは、COSMでいろいろ組み合わせて、相乗効果を見つけるのが大事という話で、難しいから理解されなかったんだけど、・・・お寿司の話をすればよかったかな」
ですね!!
ワタクシ今、30年の時を経て、「あれはこういうことだったのか!」と、アハ体験できてます!ありがとうございます。

「カレーの香辛料はね、25種類ぐらい入るんですよね。舌の肥えた人は、25種類当てますよ。これとこれとこれとこれって。ほんならそれが本当に合ってるんですよね。
耳の肥えた人は、音の香辛料を聞き分けるでしょうね。もっともシンプルなのは2つの組み合わせなんだけど。
ヘーゲルの弁証法ってあるでしょ。テーゼとアンチテーゼは反論する、という」
ヘーゲルの弁証法とは、思考方法の名称です。「正(テーゼ)」、「反(アンチテーゼ)」に加え、「合(ジンテーゼ)」の3つが対立したり統合したりしながら、思考を発展させていきます。さまざまな発展方法を総称して「アウフヘーベン」といいます。


「たとえば、資本主義と共産主義とあってね。共産主義もダメだね。資本主義も今、むちゃくちゃになってるよね。これ、うまく組み合わせたらね、これ、絶対いい世界ができると思うんだよ。それがヘーゲルの弁証法なんですよね。因みにこのジンテーゼ、ドイツ語の『シンセサイズ』です。
やっぱり、こう、ちょうど真ん中ぐらいに来るのが、音楽でも何でもそうだけども、異質なモノを2つぐらい組み合わせたところが、一番効果があると思うんですよ。
それをCOSMと言わずに、この間の落合さんのときに『クロスオーバー』と言ったのは、そのことなんですよ。あのときは時間もなかったから、みんなにうまく伝えられなかったですね。またまた因みですがこのクロスオーバーが進化成熟するとフュージョンになるのです」
2024年3月、ローランド浜松研究所で「テクノロジーには思想がある。電子楽器の未来に示唆するものとは」というシンポジウムが開催されました。目玉企画として、落合陽一さんと菊本さんが対談されたんですよね。

(2024年3月に開催した電子楽器に関するシンポジウム。残念ながら動画はありません)
V-Synthでいうと、組み合わせるためのオブジェクトとは、たとえばどれなんですか?

「V-Synthの場合は、サンプリングがあって、バリフレーズがあって、アナログ・モデルがあって、フィルターなんかのモデルもあって、それからエフェクターですね。
COSMの中にはフィルターもエフェクターもあって、たとえば、リバーブとコーラスと一緒に使うとものすごく良くなるんですよ。単体でやるよりも、もっといい効果が出るのがCOSMです。

エフェクトだけじゃなしに、料理のように、あらゆる、人生の、こう、世界のあらゆるものを組み合わせる、と。
日本人はね、組み合わせが上手いんですよ。カレーにトンカツを入れるとかね、あれ、カツカレーね、美味しいよね。
ローランドだけじゃなしに、お客さんも、音楽でいろんな組み合わせをしてね、そうすると新しいものが生まれる。
音を組み合わせるだけじゃなしに、動画とかフレーズとか、もう形になったものを組み合わせると生産効率もいいよね。
今なんでみんながループを使うかといったら、もう既にいいものができているからね。あるものを組み合わせるだけですごいものができるでしょう。
プログラミングだってそうだよね、今はもう1から書かなくても人工知能が組み合わせで実行するんだから。
だから、生産性、創造性が爆発的に上がってるんだよ。人間がついていけないくらい」
すごいですね、今、ようやく、世の中が菊本さんが構想されたCOSMの世界になりつつある、ってことですね。

「このCOSMというパラダイムの原点は、実は、ずっと昔に横井軍兵さんと一緒に仕事をしていたときにあるんですよ」
横井軍兵さんは、あのゲーム&ウォッチ、ゲームボーイなどの生みの親です。菊本さんがローランドに転職される前に、一緒に任天堂のクレー射撃ゲーム(レーザークレー)を開発されていました。

「軍兵さんといえば後に提唱された『水平思考』が有名ですが、当時お付き合いの中でも先端技術をただ追従するより既知の技術や素材を組み合わせることが得意な人でした。
私は当時技術環境がミニコンからマイコンに移行していてキャッチアップに大変でしたが、一理あるなと思っていたんですよ。
軍兵さんはその後ゲーム&ウォッチの開発に進まれて、マイコンではなく当時実装可能なカスタム・チップを活用していち早く開発に成功されました。コンピューターのような自由度や拡張性はなかったものの続くファミコンへの道を先導された功績は大きいですよね。
私はヤマハさんがスタンフォード大学の技術を独占契約して、独自の半導体工場で生産したLSIでDX7を発表したときは途方にくれましたが、気を取り直して軍兵さんのあの水平思考を思い出してD-50を作りました。
後にCOSMと命名するパラダイムは、モノとモノを組み合わせて総和より大きな相乗効果を送出する。横井軍兵さんの水平思考に通じるものがあるんです。
コンピュータのプログラム言語のオブジェクト指向も、個々の命令を組み合わせて機能、関数を作るのではなくて、多くの開発者が開発したプログラムやライブラリーを共有するほうがより創造的、生産的ですよね。スクラッチから創造するのではなく、誰もが知っている・認識できるオブジェクトを組み合わせて、その総和より大きな相乗効果を創出していることを発見するという訳です」
今回、「菊本教授によるCOSM講座を受講しよう!」というコンセプトでパラダイムやCOSMという考え方を学びましたが、とてもわかりやすくお話いただき、わたしはようやく理解できました・・・。
僭越ながら、ローランド退職後にわたしが作った会社のミッションは「教育のイノベーション」なんです。イノベーションというと、AIやICTなどの新技術を取り入れた新しいもの、というイメージがあるかもしれませんが、まさに、教育界で必要とされているのは「これまで日本人が当たり前にやってきたことと現代技術や価値観を合成してうまく融合する」感覚だと実感しています。自分が「生み出す」ということを体験してみて、ようやく今回のお話がちゃんと腑に落ちたように思っています。
次回は、菊本さんがV-Synthのあとに開発された最後の技術「V-Piano」についてお話を伺います。お楽しみに〜!
(2026.05.21配信号)