DR-55、試作品は「ぶっさ!」
おはようございます。
坪井佳織です。
TR-808の開発者で、MIDI規格設立にも貢献された菊本忠男さんインタビューシリーズの第4弾です。これまで、TR-808開発秘話、MIDI考案の裏話、幼少期からローランド入社までのストーリーをご紹介してきました。
も〜〜、とんでもない反響が届いております。ありがとうございます。これを機にご登録くださったみなさまが「役に立つメルマガ」なのではないかと勘違いなさいませんように、とヒヤヒヤしています。
本日は、菊本さんが入社後初めて開発され、未だにファンが多いという製品「BOSS初代Dr. Rhythm DR-55」についてお話を伺います。TR-808のご先祖です。
DR-55はこちらです。

開発のきっかけはどういうことだったんですか?

「僕が入社して、梯さん(当時の社長)がリズム・マシンでもやらせようかということでね、当時はCR-78※なんかでリズム・パターンをプログラムできるものはあったんだけど、それをより安価でポータブルにしたいということでね、それで始まったんですよ。
折よく低電力で動くCMOS(シーモス)のコンピューターが出始めたばかりでね、ポータブルにはできるけど、えらい値段になるということだったんですね。
その頃には少し高機能のロジックICが出てきたので、それだったら別に高価なコンピューターを使わずにディスクリート(単一機能の半導体)なICを使えば簡単な回路でできますよ、と言ってできたのがDR-55です。
簡単にできちゃったから、みんなびっくりしましたよ」

※編集部注:CR-78は1978年にローランドが発売したリズム・マシンです。リズム・パターンをプログラムして保存できるのが画期的でした。しかしオルガンの上に置くことを前提にしていたのでそれなりに大型で、発売当初の販売価格は105,000円と高価でした。その後登場したDR-55は菊本さんのアイデアで破壊的なコストダウンを実現し、販売価格は2万円を切りました。


「これについては面白い話がありますよ。
当時ね、まぁ、“Rくん”としときましょうか、若手営業マンのRくんがね、『菊本さん、これ、どないしてプログラムしまんねん』と聞きに来たので、『これからは16分の音符をゼロイチでリズムにする。1,0,1,0,1,1,0…と、こう入れまんねん』と言ったらね、
『あかん、あかーん!
そんなん、ギタリストはそんな難しいことようやりまへんて。ミュージシャン、ゼロイチわからへ〜ん!』
と言われてね(笑)。
難しいということと、もうひとつ、そんな単純なリズムではヒューマン・フィールは出せない、と。確かにその通りでした。正論が刺さりましたね。
おまけに試作品を見て、『ぶっさ!!!』と言われて(笑)」

(イラストはイメージです)
ひぃ〜〜、めっちゃ失礼じゃないですか!

「ローランドの社風を再認識しました。Rくんはギター少年がそのまま入社してきたような熱血営業マンでしたよ。
それがローランドの雰囲気だったんでしょうね。
上下関係なしに、言いたいこと言える、という」
それ、言われた時の菊本さんはどう思われたんですか?カチンと来たんですか?

「いやぁ、まぁ、デジタルへの不安か反感か、と思いましたけどね(笑)。
ただ、当時のミュージシャンのメンタルというのはよく分かりましたよ。
それは技術者も同じで、僕が入社して、アナログ全盛期からデジタルに移行するときにね、JUPITER-4、6、SYSTEM-700などに関わったエンジニアが何人か辞めてしまったんです。もうシンセの時代は終わったと言うんですよ。ちょっと神がかったような天才肌の人らでね、彼らがおったから実現したんでしょうね、ローランドのアナログシンセは。デジタル化への漠然とした不安があって、過剰反応していたのかもしれません。
社内でもデジタルへの抵抗はあったんですよ。MIDIなんて、“Musical InstrumentsダメージングInterface”なんて言う人もいましたから(笑)。
梯さんがデジタル化を推していなければ、なかなか提案できなかったんじゃないかな。
Vギターを提案したときも、BOSSの中にも浮かない顔をした人がいてね、なぜだと聞いたら、そんないかがわしいものをやりたいんじゃなくて正統な楽器をやりたいんだ、と。
いくら新しいものだと言ってもね、楽器じゃないものを作ったらあかんというのをね、僕も自分のギターシンセで※学びました。社内だけじゃなくて、お客さんにも新しいだけでは受け入れてもらえないですよ。梯さんは、その辺は非常に注意深くやってましたね」
※編集部注:『幻のローランド製ロボット』でご紹介した、菊本さんが入社前に自作されたギターシンセのことです。
ローランドのスローガンは「We Design the Future」で、梯さんも菊本さんも未来を見ていたから、躊躇なくデジタルへ進んだんですね。
ところで、このDR-55で作ったパターンは何に記録されるんですか?

「本体のメモリーです。
これね、ちょうど運よくCMOSのメモリーが発売されたんですよ〜。安くて1,024ビットのね」
↓ものすごく嬉しそうに話す菊本さん(笑)。


「問題はこれ、CMOSメモリーを記憶させておくにはバッテリーが要るんですよね。当時はいわゆる、スマートなボタン電池とか内蔵型のバッテリーもないですからね、いきなり乾電池を入れたまま売ったんです。
スイッチを入れると回路全部に電気がいきますけど、切るとCMOSだけがわずかに電気を食ってるんですよ。でもそのまま出したんです。
まぁ、これ、違反ですよね」
違反というのは?
法律的にですか?

「いや、在庫抱えてるとね、わずかだけども電池を食うので、長く置いておくとね、腐るというかね、電池が切れて無くなりますよね。※
でも、それを我々は在庫になる前に売ってしまおうと。
今はもう、ガチガチでしょう、PL法などの法律で。
当時は、売ったらええ、出そう、ということで、リスクを取って出したんですよね。そういう時代だったということです。
今、日本の企業が力がないのはね、そういうリスクを取ることがないからね」
それは本当にそうかもしれません。
メーカーだけでなく、あらゆる面でリスクは取れなくなってますね。
※編集部注:アルカリ電池はこういう使い方をすると液漏れをします。お客様に購入後すぐに使ってもらえるようにしたい(出荷時のリズム・パターンのメモリーが消えないようにしたい)というお客様目線の利便性と、長期在庫になって液漏れする前に売れるという見込みから、リスクを取ってDR-55は乾電池入りでの販売を決断したと思われます。
他に、どんな特徴があるんですか?

「あとこれね、アクセントが付けられるんですよ。
4ビット幅のメモリーに収めるために、バスドラ、スネア、リムショット、アクセントのみをプログラムできるようにしました。ハイハットはほとんどの曲で8分音符か16分音符で叩きっぱなしなので、メモリーを節約するために鳴りっぱなしで8分音符か16分音符かを選べるようにして、最後に残した1ビットをアクセントに割り当ててヒューマン・フィールを出すことにしたんです。
あの、Rくんに、『あかん、あかーん!』と言われた部分ね、ビートは機械的にジャストでも、アクセントが付くことでヒューマン・フィールを表現できるということでね、成功した。ヤオヤもそうでした、アクセントが成功の大きな要素だったと思いますね。今でいうグルーヴですね」
お求めやすい価格と自分でリズム・パターンを簡単にプログラムできることが評価され、DR-55は大ヒット製品となりました。DR-55の大成功で経営陣の信頼が一気に上がった菊本さんは、次のTR-808の開発を任されることになったのでした。DR-55がヒットしていなかったら、TR-808は無かったかもしれません。
さて、次回の菊本さん特集は、TR-808開発とMIDI規格設立の次に電子楽器業界に激震が走ったデジタル化の波(通称DX7ショック)とローランド初のデジタル・シンセ誕生の秘話をお届けします!
(2025.11.27配信号)