実は手作りだったMC-8

配信日 2019・07・25

おはようございます。
坪井佳織です。

ローランドの浜松工場へ会社訪問に出かけた山端さんは、「君、大学では何を勉強してるの?」と問われ、「プラズマです」と答えたところ、

「うちにはプラズマ研究は要らんなぁ〜。来てくれても採れないよ」

と断られたそうです・・・!

ひぃぃ〜!

そこまで言われているにも関わらず、なぜ諦めなかったかというと、ローランド創業者で当時の社長、梯郁太郎氏の会社説明講話を聞き、「なんてエネルギッシュで行動力のある方なんだ!」と強烈な魅力を感じたからです。

試験内容は、同業他社さんがむちゃくちゃ難しい数学の問題などだったのに比べ、まったくもって実践的な電子工作について(たとえば、ラジオのブロック図を書け、とか)で、そういうのが山端さんは大得意ですから、「おそらく満点だったと思う」とのことで、試験の次の日に研究室に

「君、すぐ来て!うちに来て!絶対入ってね!!
オネガイ(>人<;)!!」


と電話が来たそうです。

ふぅ・・・、すごいドラマですよ、ほんとに。もしここで諦めていたら、JUPITER-8もSH-101もひょっとしたら生まれてないわけですから、あっぶないことです。

当時のローランドの話は面白過ぎます。

たとえば、入社したときには、当時まだあまり売れていなかったギターシンセGR-500(というか、1978年時点で既にギターシンセがあったのですね)の仕様変更がありました。いや、仕様変更はいいんですけど、それがなんと、発売後だったそうなのです!

(世界初のギター・シンセサイザーGR-500、1977年発売)

いやいやいや・・・、既に発売されている商品の仕様変更って、もう無茶苦茶ですよね。なんかやりたくなっちゃったんでしょうね。

工場から一旦出荷されて倉庫にある在庫品を工場に戻して開梱し、基板を追加して、取扱説明書を入れ替え・・・という作業をひたすらやったそうです。

(GR-500と山端さん)

海外にも輸出してましたから、山端さんの同期入社の社員さんが海を越えまして、せっせと変更。
売れたものも変更。
ジェフ・ベックの自宅まで行って変更。

・・・なんですと?!

つくづく、すごい時代です。

それから、MC-8という世界で初めてマイクロ・プロセッサーを搭載したシーケンサーが山端さんの入社一年前の1977年に発売されていました。
売価が120万円。
日本では冨田勲さんなど、数名が持っていただけでした。

ちなみに、冨田さんのMC-8はご要望に沿ってご自宅まで行って改造していたので、他と仕様が違っていたらしいです。もうなんか、話がすご過ぎて、歴史上の人物のこと書いてるみたいです。

当時、月に2〜5台しか出荷されていなかったので、ひとりの社員が一台一台手作りしていました。上部の板金も手作りなので、曲げのカーブが一台一台違ってたりしたそうです。

ひとりで作ってるので、当然、出荷検査も自分です。←意味ない。

この手作りMC-8の後半を山端さんが引き継ぎまして、当時は出荷表にハンコを押していたそうなので、もし、お持ちのMC-8があったら「山端」って押されてるか、もしくは違う名前か、チェックしてみてください。なにしろ、おふたりのどちらかですから。

この頃の山端さんは、内心、

「この会社・・・、潰れるんじゃないか」

って思っていたそうです。

ですよね、プロ向けの月に数台しか出荷されない製品、一箱ずつ開梱して仕様変更、一品ずつ手作りですから。

(MC-8と山端さん。うしろのタンスはSYSTEM-700という、これまたとても高額な製品)

その後、ローランドの会社生命を救った、あの製品が誕生することになります。
なんだと思いますか?

続きは来週〜!

これからも全力でゆるい楽屋ばなしをお届けしてまいります!

ライター・プロフィール

楽屋の人:坪井佳織 (つぼい かおり)

電子ピアノや自動伴奏の開発に携わっていた元ローランド社員。現在、本社近くでリトミックを教えています。元社員ならではの、外でも中でもない、ゆるい視点でメルマガを執筆しています。どうぞよろしくお願いします。

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