社長になる方法

配信日 2018・04・12

おはようございます、社長を夢見る坪井佳織です。

わたしが初めて「そうだ、社長になろう」と思ったのは、30才のときでした。出産に伴って会社を辞めたとき、どうせ雇われないなら社長になろう!と思ったのです。それからガツガツと働いてきましたけど、まだ個人事業主止まりです。わたしに任せてみたい会社があったら、社長に就任しますのでお気軽にお声かけください!

そもそも、人って、どうやって社長になるんでしょうか?興味ありませんか?

そうだ!聞いてみよう!!

…というわけで、ローランドの社長に会って聞いてきました、「社長はどうやって社長になったのですか?」と。

本日は、【ローランド社長に聞く!社長になる方法】をお送りします。

ローランドの社長は三木純一氏。大阪府出身でとても背の高い方です。ローランド入社は1977年。ここで1998年に発行された「ローランド25周年の歩み」という社内向けの冊子に掲載された三木さん(当時:開発部門担当取締役)のお話を読んでみましょう。

エピソードの面白さもさることながら、「私は当時、何をやらせても大したことのない一介のエンジニアとして」という一文が気になりました。というのも、わたしが初めて三木社長にお会いしたのは1990年ころ。当時、店頭販売員としてわたしがご紹介して売りまくっていた電子ピアノHP-3700/2700を開発された部署、P-6(第6プロダクト)のリーダーが三木さんでした。全国の販売員が集まって音やタッチの仕組みを学ぶ研修会で説明していただいたのが初めての出会いだったので、わたしにとっては最初から「すごい方」だったのです!

「大したことのない一介のエンジニア」時代のことを聞いてみたら、終礼で「今日はみんな残業してがんばろう!」と言われた直後に「では、お先に」とサッサと帰るような社員だったそうです。しかも、何かのポリシーで帰っていたというより、周りの目にも雰囲気にも気づかず、スーッと。

「えっ?だって三木さん、○○だったじゃないですか!」と聞くたびに「あー、それはP-6のリーダーになってからだねー」というお返事が返ってきました。人って…、そんなに役職によって変われるもんですか?!

その当時のP-6(第6プロダクト)の代表的な開発機種を、ローランド製品オタク、山本特派員に紹介していただきましょう!

1990年 デジタル・ピアノ HP-3700/HP-2700
当時最新のピアノ専用のサンプリング音源(アドバンストSA音源と呼ばれていました)を搭載していて、リアルなサウンドで人気を博しました。従来のデザインとは異なった、アップライトピアノ的な家具調キャビネットは、現在の家庭用電子ピアノの原型になったデザインと言えます。また、「レッスン用」を明確にターゲットにしたローランド最初のピアノでもあります。

1991年 デジタル・ピアノ FP-8
ローランド初のハンマーアクション鍵盤(バネを使わないグランドピアノと同じハンマー機構の鍵盤)搭載のピアノです。「ポータブルでスピーカー内蔵の88鍵ピアノ・タッチ」というコンセプトの最初の製品がこのFP-8で、現在のポータブル・ピアノの原型になったデザインと言えます。赤/白/グレーの3色カラー・バリエーションも当時画期的でした(なんと18色も試作を作ったそうです)。ちなみに、イメージアーティストは葉加瀬太郎さん率いる「クライズラー&カンパニー」でした。

1992年1月 デジタル・シンセサイザー JV-80
当時ローランドにはP-10(第10プロダクト)というシンセサイザーの開発部(JD-800などを開発した部門)があったのですが、ピアノの開発部門であるP-6(第6プロダクト)が開発したシンセサイザーがJVシリーズです。シャープさんで例えると、テレビ事業部がパソコン(X1)を作ってしまった感じでしょうか。音源はPCMで、リアルな音色とエキスパンションボードで音色を拡張できるコンセプトが、音楽ジャンルが一気に多様化した90年代の音楽市場に受け入れられ大ヒットシリーズになりました。

1993年 ミュージック・ワークステーション JV-1000
P-6(第6プロダクト)は、ピアノやシンセだけではなくミュージック・ワークステーションまで開発しているイケイケの部署でした。当時ワークステーションの開発でKORGさんに遅れをとっていたローランドが、JV-80の音源とシーケンサー製品のMC-50mkIIを合体させるという大胆なアイデアで、超短期間で開発したワークステーションがJV-1000です。分解するとJV-80相当の基板とMC-50mkII相当の基板が入っていて、2つの基板がMIDIケーブルでつながってました(こんなことバラしても大丈夫なのでしょうか…)。ちなみに、JV-1000のキャッチコピーは「ふたつの巨大心臓を持ったモンスター」でした。もはや楽器というより、ドラゴン退治の兵器みたいなコピーですね。

以上、山本特派員でした!!

いかがですか?
どの機種も、わたしにとっては毎週楽器店で売っていたものなので、並べられるとワクワクします~。

このあと、三木さんはずっと開発畑だったのですが、2007年発売の電子チェンバロC-30を開発されるにあたり、「チェンバロ…?一体、どんな方がどういう用途で欲しいんだろう?」と徹底的な市場調査からスタートしました。それが開発からお客さまに届くまでのマーケティングに関心を持ち、マーケターとしての活動が始まったきっかけだったそうです。

実は、このとき、三木さん(当時:クラシック開発担当役員)の販売促進活動のお手伝いをしたのがわたしでございます~。ほとんど何もかも二人でやったのが、今思い出してもめちゃくちゃなことばかりで、本当に楽しかったです。三木さんご自身は「反則の販促」と呼んでいらっしゃいます(笑)。このエピソードは面白すぎるので、いずれ詳しくお届けします。

その後、2013年に社長に就任されました。

あるときはモノづくりが大好きなエンジニア。あるときは調査のためにmixiもTwitterもやるマーケター。そしてその実体は、社長~~~!

お会いするといつも10冊くらい書籍を紹介してくださるので、わたしは次に会うまでの間、ひたすらそれを読みます。最近では、山本特派員とともに、D.カーネギーの名著『人を動かす』を(社長!すみません!我々、まずは漫画で読みました!!)ベースに打ち合わせしてます。

三木さんご自身は「ぼくのことを知る人たちは、三木でも社長ができるんだから誰でも社長になれると思ってると思うよ」とおっしゃってました。

エンジニア、マーケター、社長時代を全部知るわたしには、どのポジションにおいても徹底的に勉強され、その道の成功者や成功事例を具体的に見つけ、それを参考に「何をしたらよいか」をすぐに実行される方、という印象です。

ということは、社長になるには「社長になる勉強をして成功者を模倣すればいい」のかな。

よし!やってみよっ!!

これからも全力でゆるい楽屋ばなしをお届けしてまいります!

ライター・プロフィール

楽屋の人:坪井佳織 (つぼい かおり)

電子ピアノや自動伴奏の開発に携わっていた元ローランド社員。現在、本社近くでリトミックを教えています。元社員ならではの、外でも中でもない、ゆるい視点でメルマガを執筆しています。どうぞよろしくお願いします。

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